東京の穴場駅を歩いて記事にする「一駅ぶんの冒険(ひとえき)」というブログを運営しているゆうと申します。
今は多摩に住んでいますが、社会人になってからの5年間は23区で暮らしていました。
本郷三丁目(社会人1~2年目)→下北沢(社会人2~3年目)→王子(社会人4~5年目)→多摩。
それぞれ違う理由で選んで、違う理由で出ています。
今回は最初の街、本郷三丁目の話です。
その前段として、生い立ち~社会人までを語ります。
コロナ真っ只中に就職して、初めての一人暮らしをどこで始めるか決めた話をお届けいたします。
東京に住むうえで気にしておいた方が良いポイントも含め記載しておりますので、是非ご一読ください。
多摩で生誕~多摩への凱旋
筆者は1990年代に多摩のとある病院(南多摩地域)にて生を受けました。
父親は銀行員、母親は専業主婦の家庭です。
(ただし、母親も元銀行勤めのいわゆる行内婚ってやつですね)
生まれ自体は多摩ですが、当時両親が住んでいた家は川崎市にあったらしく、いまだにどこ生まれか聞かれた際に東京と名乗っていいのか、神奈川と名乗るべきなのか定かではありません。
生まれだから東京でいいんですかね、詳しい方いたら教えてください。
その後、転勤で生後すぐ広島に引っ越すことになります。
通常、銀行マンは3年ほどで転勤になるらしいのですが、支店の統廃合等の都合で10年近く広島に住んでおりました。
※父親から聞きかじった話ですので定かではありません。が、少なくとも広島に10年近く住んでいたことだけは確かです。
そして、小学校高学年で再び東京へ転勤となり、再度多摩に移り住みます。
今度は北多摩地域に移り住みました。
社宅暮らしを経て、中学途中から北多摩に一軒家を購入、大学卒業までを実家で過ごすことになります。
社会人1年目~初の一人暮らし@本郷三丁目~
大学卒業・就職に際し、本郷三丁目/水道橋付近で一人暮らしを開始します。
理由はありがちな話で、親元を離れたかったためです。
あと、家に自分の部屋がなかったので「自分の部屋=自分だけの城」というものに強い憧れがあったこともあげられます。
ただ、コロナ世代の就職でしたので、研修等もほぼすべてリモートで過ごすことになり、飲み会もなく家でひきこもって近隣を散歩する生活を送っておりました。
街選びの最初の軸については、「リスクが低いこと」「オフィスから近いこと」「9万円以内で住めること」の3つでした。
①ハザードマップ上、水害のリスクが低いこと
ーこれまでずっと多摩というリスクの低いエリアで生きて来ていた
ー生来のリスクを取りたがらない性分がある
ーわざわざ「町として良くても災害リスクがあるエリアに住みたくない」と心から思っている
②オフィスから近いこと
ー当時の就職先が大手町だった
ーコロナ禍ではあったが、「いつコロナが終わり、出社が解禁されるか」わからなかった
ーなので、出社に耐えられるよう電車で30分以内(Door to Doorで45分くらい)に住もうと考えていた
③9万円以内で住めること
ー初任給/手取りと、一般によく言われる「家賃は手取りの30%まで」理論を踏まえると、9万円くらいまでが家賃に出せる上限だった
この3つの軸を踏まえて調べた時に、私の最終候補に挙がったのが「高円寺」と「本郷三丁目/水道橋」でした。
(23区東側、城東地区はハザードマップの関係ですべて切っています)
当初は、本郷三丁目の方が若干賃料が高い(同じ賃料ならグレードが下がる)+北多摩に住んでいたこともあり中央線沿線はある程度勝手知ったる土地だったので、高円寺を第一候補としておりました。
しかし、最終的には「高円寺だと普通に親とかが来そう」+「同期の多くが三田線沿いに住むという話をしていた」+「湯島の坂上にあり、水害リスクがほぼないので安心できる」という3点から、本郷三丁目に住むことに決めました。
家賃は管理費込み8.7万円の1K(6畳)、築15~20年ほどのマンション7階でした。
本郷三丁目は上野や水道橋も近くコロナ収まってきたら遊び場所には困らないだろうな~、とか東大近くだから飲食店とかも多いだろうな~といった打算もありました。
実際、今でもたまに本郷三丁目に行くと「家家家(ヤーヤーヤー)」という赤門前にある家系ラーメンに必ず入るようにしています。普通においしい+安いです。錦糸町や飯田橋にもあるらしい。
加えて、周辺に同期も多く住んでおり、仕事終わりに散歩をして時間を過ごす等比較的充実した日々を過ごしておりましたし、社会人2年目になるころには出社も増え始め、会社の近くに住むメリットもかなり感じておりました。※本郷三丁目から大手町は電車で3駅
また、近所にはまいばすけっと・マルエツプチ・ドン・キホーテがあり買い物には困らない環境でしたし、飲食店もチェーン店からうまいラーメン屋(有名どころだと麺屋鈴春等)もあり、必要なものがすべてそろったいい町でした。
ただ、私はこの何不自由ない生活を、彼女ができたわけでもないのに、愚かにも1年半で手放すことになるのですが、その話は次の記事でお話しさせていただきます。
